"辞めるしかなかったはずが…
センテニアルでの研修を終えて卒業を目前に控えた時期、残念ながら、私は乳癌の告知を受けました。で
すから、仕事に就くことは当面断念せざるを得ませんでしたが、化学療法や放射線療法をこなしながら試験勉強をして、新生児NPの資格試験に合格することが
できました。このときに、「良くなったら就職活動をしよう」という夢を持つことができたのは本当に幸いでした。
2003年の春、化学療
法がまだ数回残っているという頃でしたが、サミーがディレクターを務める新生児医療グループの新生児NPのリーダー、パティさんから連絡があり、「フルタ
イムのポジションではないけれど、私たちは新生児NPを必要としている。ぜひ、面接に来ませんか?」というお話をいただきました。癌の治療中でまだウィッ
グも取れなかった私に声をかけてくれたのは、驚き以外にありませんでした 。すぐに面接に出かけました。
サミーはいつものスクラブを着
て、ニコニコしながら部屋に入って来ました。そして、まず私の健康を気遣ってくれた後、こうおっしゃいました。「ワカコが良くなるのを僕たちは待っていた
んだよ。去年の夏の実習で君に会ってから、絶対にうちに来てほしいと思っていたんだ。われわれのグループでNICUを担当する病院が増えることになって、
新生児NPの数を増やしたい。週2日勤務でいいから、体とも相談しながら力を貸してくれないか」。感激を通り越して涙腺が完全に崩壊しそうになった私は、
5日前に受けたばかりのアドリアマイシンやサイトキシンで気分がすぐれないことも忘れ、夢中になって将来のことを話しました。
それから
丸2年働いた頃、先に述べたように、ナッシュビルからルイジアナ州北部へ引っ越すことになったのです。
このとき、家族と一緒に引っ越す以外の選択は考えられず、私は自分が本質的にキャリア志向ではないと知りました。職場は離れがたいものでしたが、単身赴任
をして週末に帰るという方法も、時間と費用を考えると無理でした。
決意を固めた私がサミーに別れを告げに行ったとき、返ってきたのが「じゃあ、飛行機で通う?」という言葉だったのです。「旅費のサポートはするから、クリエイティブなスケジュールを考えて、まとめて働くことを検討してみて」。
サミーらしいのは、夫とちゃんと相談して、どれくらいまで家を離れると家族にとって無理な負担になるのか、考えてきてほしいと言ってくれたことです。「家
族の構成が変わって、家の中の模様替えをしないといけないときがあるでしょ。今もそんな感じだよ」と言ってニコニコしていました。
飛行
機通勤をすることになるなんて、それまで考えたこともなく、様々な偶然の巡り合わせの結果でした。ただ、サミーをはじめとする仲間たちに「750kmの距
離を越えてでも一緒に働き続けてほしい」と思ってもらえたことは、本当にうれしく思います。飛行機通勤は時につらいこともありますが、これからもできる限
り続けていくつもりです。"
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